日本テレコムは、第一次通信自由化に伴い、DDI、テレウェイなどのNCCとして誕生した会社で、現ソフトバンクテレコムの前身企業です。
日本テレコムの主要株主はJR各社で、いっけん鉄道と通信は結びつかないイメージですが、国鉄時代にはすでに鉄道業務連絡用の独自の通信網を持っていました。
この通信網ではコンピューターオンラインシステムも整備していたほどで、通信面では高い技術力とスタッフを擁していました。
さらに加えて、鉄道路線が全国に敷設されており、市街地にも入り込んでいるというメリットを活かし、鉄道沿いに光ファイバーケーブルを張り巡らせることができたことから、他のNCCよりも比較的に容易にネットワークを構築できました。
こうした優位性もあり、NCCの中では先んじて1987年に長距離国内電話サービスを開始しました。
1987年は旧国鉄が分割民営化された年でもありますが、この時に国鉄の通信部門は鉄道通信株式会社として独立していました。
しかし、出身母体が同じということで、1989年には鉄道通信株式会社が日本テレコムを合併するという形で、日本テレコムとなりました。
その後、日本テレコムは順調に成長していきますが、さらに移動体通信分野にも進出していきます。
1991年から順次デジタルホンの地域会社を設立していき、携帯電話サービスを展開していきます。
デジタルホンは東京、東海、関西の3地域に限定されていたため、その3地域以外のエリアに日産とともにデジタルツーカーの地域会社を設立し、携帯電話の全国展開が可能になりました。
また、第二次通信自由化に伴い、他のグループが総合電気通信会社化していく流れの中で、日本テレコムも国際電話分野に拡大していくために、1997年に日本国際通信(ITJ)との合併を果たします。
日本国際通信(ITJ)とは、第一次通信自由化の際に、国際通信系のNCCとして生まれた会社で、三菱商事、三井物産、住友商事などが出資した商事会社系のNCCと言えるかと思います。
日本国際通信(ITJ)は特にデータ通信サービス関連に力を入れていましたが、売り上げ規模では自由化を乗り切るには厳しく、危機感を強めていて、国際通信部門が欠けていた日本テレコムと双方の利害が一致し合併に至りました。
その後、低価格競争に対抗するために、AT&TやBT(ブリティッシュ・テレコム)などの外資との提携、またイギリスのボーダフォンに買収される(携帯電話部門のデジタルホン、デジタルツーカーが合併しJ-フォンブランドに統一されていましたが、この時にボーダフォンのブランド名になったのは記憶に新しいところです)などを経て、2004年にソフトバンクグループ傘下に入ります。
そして2006年にソフトバンクテレコムに社名変更し、現在に至っています。
年月 | 沿革 |
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1984年10月 | 日本テレコム株式会社設立 |
1986年7月 | 日本国際通信株式会社(ITJ)設立 |
1986年12月 | 鉄道通信株式会社設立 |
1987年9月 | 日本テレコムが市外電話サービスを開始 |
1989年4月 | 日本国際通信が国際専用線サービスを開始 |
1989年5月 | 日本テレコムが鉄道通信に合併。鉄道通信は日本テレコム株式会社に社名変更 |
1989年10月 | 日本国際通信が国際電話サービスを開始 |
1997年4月 | インターネットプロバイダ「ODN」サービスを開始 |
1997年10月 | 日本テレコムが日本国際通信を合併 |
2001年5月 | 市内電話サービスを開始 |
2004年7月 | ソフトバンクグループ傘下へ |
2005年7月 | 国際通信会社IDCを合併 |
2006年10月 | ソフトバンクテレコム株式会社へ社名変更 |