このページでは日本移動通信(IDO)の歴史についてまとめています。

ヘッダー背景

▶ 日本移動通信(IDO)の歴史

日本移動通信株式会社(IDO)は、現在のKDDIの前身となる携帯電話キャリアの一つです。

同じくKDDIの前身会社の一つ、DDIセルラーと同時期に設立され、サービスエリアを分け合ったことから、関東地域、山梨県、静岡県、長野県、東海3県の1都12県での営業を1社体制で展開していました。

IDOの筆頭株主はトヨタ自動車でしたが、それに次ぐ株主として東京電力と中部電力の出資により1987年に設立されました。

1988年にはアナログのハイキャップ方式により、それまでNTTが独占していた自動車電話サービスに初めて参入しました。

1989にようやく携帯電話事業に乗り出し、「ハンディホン」サービスを開始しました。

関東、東海という大市場を割り当てられたにもかかわらず、サービスエリアが限定的であったため、全国サービスを展開しているNTTドコモには大きな差をつけられていました。

1992年に同じ環境にあったDDIセルラーと相互接続による全国ローミングを開始し、ようやくNTTドコモと同じく全国サービスを開始できたものの、全国展開の遅れや携帯端末機能の出遅れなどが影響し、赤字経営が続き、累積損失も1997年時点で約200億円に膨らんでしまいました。

経営再建のために1998年に増資を決定、トヨタ自動車が増資の大半を引き受け、同社の出資比率は60%を超え、IDOはトヨタの子会社となり、トヨタ主導で生き残りをかけることになりました。

しかし、IDOがエリアとしている関東、東海地域には、同じ地域を営業エリアとする新規参入組のデジタルホンツーカーセルラーなどが競争を強め、IDOはますます追い詰められていくことになります。

1995年時点で9%弱あった加入者数シェアも1998年には8%弱に低下し、ついにはデジタルホンにシェアを抜かれるまでに至っています。

こうした流れの中で、DDIセルラーグループとの提携を強めていき、さらにはKDDIの設立へと進んでいくことになりました。

年月沿革
1987年3月日本移動通信株式会社 (IDO) 設立
1988年12月ハイキャップ方式の自動車電話サービス開始
1989年5月携帯電話「ハンディフォン」サービス開始
1992年12月DDIセルラーグループとTACS方式による全国ローミングを開始
1999年4月DDIセルラーとともにcdmaOneによる全国ネットワークが完成
2000年7月DDIセルラーとともに全国移動体ブランドとして「au」に統一
2000年10月DDI、KDD、IDOが合併、株式会社ディーディーアイ (通称:KDDI) 発足