このページでは第二電電(DDI)の歴史についてまとめています。

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▶ 第二電電(DDI)の歴史

第二電電(DDI)は、1985年の第一次通信自由化で誕生した国内長距離NCC(New Common Carrier)の内の一社で、2000年の合併により、現在のKDDIになるまで存在していたキャリアです。

株主としては、ソニーやウシオ電機も名を連ねていましたが、なによりも筆頭株主の京セラが率いた会社と言っても過言でありません。

他のNCCである日本テレコムやテレウェイ、また元から国際電話サービスを行ってきたKDDのように基盤となる基幹通信網がなく、まったく0からのスタートでした。

まず技術者はNTTなどからスカウトにより獲得し、基幹通信網に関しては、マイクロウェーブ無線方式で通信網を構築していきました。

1987年には東京、名古屋、大阪などの大都市圏で市外電話サービスを開始し、1992年にはサービスエリアを全国に拡大していきます。

また第二電電(DDI)は、総合通信企業をめざし、移動体通信分野にもサービスを展開していきます。

携帯電話では1987年にDDIセルラーグループを設立、PHSでは1994年にDDIポケットグループを設立します。

DDIセルラーグループは当初関東と東海エリアは営業エリア外でしたが、その後日産自動車とともにツーカーセルラー東京、ツーカーセルラー東海を設立し全国展開を実現します。

また、衛星携帯電話「日本イリジウム」にも出資するなど力を入れていき、携帯電話分野では当時としてはNTTドコモに次ぐ売上高を誇っていました。

一方のDDIポケットは、PHS分野のシェアは当時50%と他のアステルやNTTパーソナルを抑えトップでしたが、端末の安売り競争などが原因で売り上げは振るいませんでしが、それでも第二電電(DDI)グループ全体としては順調に売り上げを伸ばしていきました。

そして、1993年には東証二部に上場、1995年には東証一部情報を果たし、1998年度の連結売上高は1兆2466億円とNTTに次ぎ、当時のNCCの中ではナンバーワン企業にまで成長しています。

1996年以降の第二次通信自由化により、他社が国際通信サービスも含めた総合電気通信会社へと再編されていく中で、第二電電(DDI)も1997年に国際電話番号「0078」で国際電話サービスを開始し、カナダのテレグローブと提携、同社の通信網を使ってサービスを展開していくことになります。

このことによって、もとから国際電話サービスを担ってきたKDDとも国際電話分野では競合していましたが、2000年にKDDおよび携帯電話のIDOと合併し、株式会社DDIとなりました。

その後、2001年にKDDIに社名変更に行い、現在に至っています。

年月沿革
1985年4月第二電電株式会社(DDI)設立
1986年10月東海道ルート(東京、名古屋、大阪)で専用サービスを開始
1987年7月東海道ルート(東京、名古屋、大阪)で市外電話サービスを開始
1987年~DDIセルラー地域会社を順次設立し、携帯電話サービスを開始
1993年9月東証第二部に上場
1994年11月DDIポケットグループ9社を設立、PHSサービスを開始
1995年9月東証第一部に上場
1997年7月「DION」の名称でインターネットプロバイダ事業を開始
2000年10月DDI、KDD、IDOが合併し、株式会社ディーディーアイ発足
2001年4月KDDI株式会社に社名変更