このページではDDIセルラーグループの歴史についてまとめています。

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▶ DDIセルラーグループの歴史

DDIセルラーは、現在のKDDIに合併される前の1987年から2000年までに存在した携帯電話キャリアです。

地域会社8社を合わせて、DDIセルラーグループと呼ばれることもあります。

DDIセルラーは、1985年の通信自由化に伴い、京セラ系の第二電電(DDI)と京セラの出資の元、携帯電話サービスに新規参入を果たしました。

1987年に関西セルラー電話の設立を皮切りに、北海道、東北、北陸、関西、中国、九州、沖縄にそれぞれ地域会社を設立していきました。

この地域8社はDDIの子会社ですが、各地域の電力会社も出資しています。

出資比率としては、DDIがほぼ60%、電力会社が20%という比率になっています。

ただし沖縄名だけは沖縄電力の比率は小さかったようです。

年月沿革
1987年6月関西セルラー電話株式会社設立
1987年10月九州セルラー電話株式会社設立
1987年11月中国セルラー電話株式会社設立
1988年4月東北セルラー電話株式会社設立
1988年5月北陸セルラー電話株式会社設立
1988年7月北海道セルラー電話株式会社設立
1989年4月四国セルラー電話株式会社設立
1991年6月沖縄セルラー電話株式会社設立
1992年12月IDOとTACS方式による全国ローミングを開始
1999年4月IDOとともにcdmaOneによる全国ネットワークが完成
2000年7月IDOとともに全国移動体ブランドとして「au」に統一
2000年10月ボーダフォン(株)がソフトバンクグループ傘下へDDI、KDD、IDOが合併、株式会社ディーディーアイ (通称:KDDI) 発足
2000年11月DDIセルラーグループ7社が合併、株式会社auが発足

主要な関東、東海に地域会社が無いのは、同時期に新規参入をしたIDOと地域を分け合うよう当時の郵政省の判断があったためです。

しかし、最大のシェアを誇るNTTドコモグループに対抗するには、この関東、東海エリアの地域会社を欠いたことは全国サービスを展開する上で不利でした。

そこで、関東、東海地域で営業を展開しているIDOとの連携を強めていくことになります。

IDOも同様の問題を抱えていたため、お互いの利益にかなったものでした。

そして、1992年にIDOとTACS方式による全国ローミングを開始し、念願の全国通話サービスを実現しました。

そのような中、デジタル化の波が押し寄せ、さらに「デジタルホン」、「ツーカーセルラー」、「デジタルツーカー」が新たなグループとして新規参入をし、また「端末売り切り制※」の開始とともに価格競争も激化し、NTTドコモとの差を広げつつありました。

そこで、米国主導の国際標準技術であるCDMA方式の「cdmaOne」を採用し、IDOとの連携をさらに深めていくことになります。

しかし、それでも苦戦を強いられ、DDIセルラーグループ全体で1995年の時点で加入数17%のシェアがあったものが、1998年には14%弱にまでシェアを落とし、合併によるKDDI発足の流れへとつながっていきます。

※端末売り切り制

それまで携帯電話会社がユーザーにレンタルしていた端末をユーザーが買い取る制度で、これにより利用者は多額の保証金を支払う必要がなくなり、それとともに初期費用、回線利用に必要な料金の大幅な値下げが行われるなど、現在のように広く一般に普及するきっかけとなりました。