このページではツーカーセルラーの歴史についてまとめています。

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▶ ツーカーセルラーの歴史

ツーカーセルラーは、現KDDIに合併される2005年まで「ツーカー」ブランドで存在した携帯キャリアです。

90年代に入り、「デジタルホン」、「デジタルツーカー」とともに携帯電話第三グループとして新規参入をしました。

日産自動車の主導で1991年に設立され、営業エリアは関東、東海、関西の大都市圏を営業エリアとしていました。

日産自動車が出資しているとはいえ、日産が筆頭株主になっているのは「ツーカーホン関西」だけで、他の「ツーカーセルラー東京」、「ツーカーセルラー東海」は、セルラーの名称が入っている通り、DDIと日産が筆頭株主でした。

なぜなら、関西にはすでにDDI系の「関西セルラー電話」が存在していたために、DDIと競合をしない東京と東海のみの資本参加でした。

東京と東海のみとはいえ、このことはDDIにとって、それまでDDIセルラーはこの関東と東海の2地域にはIDOがあるため進出できないでいましたが、ツーカーセルラーへの出資により、この2地域に進出を果たすことができました。

ツーカーセルラーは、大都市圏のみの営業なので、全国展開していく上で同時期に参入し、大都市圏以外で展開している「デジタルツーカー」とは第二世代の通信方式であるPDCで共通していたこともあり、関係を深めていくことになります。

一方DDI系のDDIセルラーは、次世代の通信方式において米国方式を採用したのに対し、ツーカーセルラーはドコモの次世代方式を採用し、また、同じ米国方式を採用し以前より関係が深かったIDOとは営業エリアにおいてツーカーセルラーと競合するなど、資本関係と通信方式のあいだで、この頃のDDIとツーカーセルラーは複雑な関係性になっていました。

業績面においては、1998年には加入者数シェアは8%程度と、同時期に営業を開始したデジタルホンと拮抗していました。

しかし、日産自動車本体の経営悪化に伴い、ツーカーセルラーの日産保有株をDDIに譲渡、そして、日産と日本テレコムが出資して設立したデジタルツーカー株は日本テレコムに譲渡されました。

その後、デジタルツーカーはデジタルホンとともにJ-フォンに統合、一方、ツーカーセルラーはDDIを親会社とし、従来の関東、東海、関西地域において営業を継続し、その他のエリアにおいてはJ-フォンとローミングすることで全国サービスを維持しました。

2000年にDDIがKDDIに統合されてからもツーカーブランドで独自のサービスを行っていましたが、2005年にはKDDIの完全子会社となり、2008年にツーカーのサービスは終了しました。

年月沿革
1991年7月株式会社ツーカーセルラー東京設立
1991年10月株式会社ツーカーホン関西設立
1992年2月株式会社ルーカ―セルラー東海設立
2005年10月株式会社ツーカーセルラー東京、株式会社ツーカーホン関西、株式会社ルーカ―セルラー東海の3社がKDDIと合併
2008年3月ツーカーのサービスが終了