このページではKDD(国際電信電話)の変遷の歴史についてまとめています。

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▶ KDD(国際電信電話)の歴史

KDDは、NTTと並ぶ歴史のある通信キャリアで、現在の日本の国際電話の基盤を築いた会社です。

戦前の国際電話は、逓信省の一部門として運営されていましたが、その逓信省は戦後、電気通信省と郵政省に分割されました。

電気通信事業は、行政以外の機関で行ったほうが良いとの判断から、1952年に「日本電信電話公社」が発足し、1953年にこの日本電信電話公社の国際部門を分離する形で「国際電信電話(KDD)」が生まれました。

KDDは、自由度が高い方が活動しやすいということで民間会社として設立されましたが、NTTと同じ国策会社であり、公益性の高い会社でした。

そして、国内電話はNTT、国際電話はKDDというように事業区分され、長らく日本の国際電話を一社で担い、「国際的に通用する通信ネットワークを構築する」という設立目的に向け、第1太平洋横断ケーブル (TPC-1) をはじめ、各国とのケーブル網を整備していきました。

しかし、第一次通信自由化に伴い、IDCとITJの2社が国際電話分野にNCCとして参入し、KDDの国際通信独占の時代も終わりを迎えることになります。

その後は、このNCC2社に加え、コールバック通信会社の参入により、さらなる通話料の低価格競争が激しくなり、KDD独占時代には、日米間の平日3分の通話料金は約1500円でしたが、1996年ごろには、KDDの同じ通話料は450円と1/3以下にまで下がりました。

こうした影響で、業績悪化が進んでいたところに、第二次通信自由化によりさらに自由化が進む中、打開策として、NCCの一社で同じく危機感を抱いていたテレウェイ(日本高速通信株式会社)との合併が決まり、KDD株式会社と社名変更し、新生KDDが誕生することになります。

テレウェイ(日本高速通信株式会社)は、第一次通信自由化で1984年に設立されたNCCの内の一社です。

当時の建設省の外郭団体である道路施設協会とトヨタ自動車の出資という背景から、道路公団の高速道路網と通信部門というインフラを利用することができました。

この点は、そうしたインフラが全くなかった第二電電より有利とみられていましたが、結局は通信網の構築の遅れが原因で他のNCC各社に差を開けられ、赤字経営となってしまいました。

こうした経緯もあり、KDDとの合併に至りました。

しかし、合併後も国際通信部門の減収は改善されないまま、2000年にDDIIDOと合併し、現在のKDDIに至ります。

年月沿革
1953年3月日本電信電話公社から分離し、国際電信電話株式会社 (KDD) 設立
1963年10月茨城宇宙通信実験所で、日米間初のテレビ中継受信に成功
1964年6月第1太平洋横断ケーブル(TPC-1)開通
1964年8月国際電気通信衛星機構(インテルサット)に加盟
1969年5月山口衛星通信所開所し対欧間に衛星回線開設
1973年3月国際ダイヤル通話開始
1977年3月国際海事衛星機構 (インマルサット) に加盟
1984年11月日本高速通信株式会社(テレウェイ)設立
1989年4月太平洋で最初の光海底ケーブル、第3太平洋横断ケーブル(TPC-3)開通
1998年12月日本高速通信株式会社と合併、KDDI株式会社と社名変更
2000年10月DDI、KDD、IDOが合併、株式会社ディーディーアイ発足
2001年4月KDDI株式会社に社名変更